あの日から一年。備忘録1

去年の明日、おばあちゃんは亡くなった。

 

なかなか文字にできなかったけど、

書かないとそろそろこの記憶を

鮮明に覚えていられなくなりそうなので、

ちゃんと向き合うことにした。

 

今回は、初めて、パソコンからの入力。

何が変わるかな?

 

 

 

 

ばーばはおうちで最期を迎えるために、5月の11日に退院してきた。

私たちは最高の最期を看取るために毎日心の準備をしてきた。

 

 

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家にきた最初は、意識が朦朧としていて、

顔も私の知ってるばーばじゃなかったし、

闘病中のばーばでもなかった。

 

 

 

 

私は、少しうろたえながらも

ここで暮らす人全員に優しく元気でいることを努めた。

 

 

 

 

 

慣れてない家でアレルギーが発動したし、寝るサイクルも狂わせた。

その中でフルで取ってた学校の授業も、かかさずに受けた。

 

 

 

 

23時〜5時がいとこのお母さん

5時〜9時 私

0時〜2時、14時〜17時 母

 

 

の睡眠サイクルで、2人は看ていられるようにした。

1-2時間に1度、寝返りを打たせないといけなかったしね。

水でむくみ切ったばーばはめちゃ重いんだ。1ヶ月で手にタコができたよ

 

 

 

 

 

 

はじめの3日ぐらい

ばーばは、起きてるとずっとうなってて、

嫌な夢(?)を見ているようで、

「嫌だー、痛いよー、辛いよー、

こないでー、おとうさーん、助けてー」

それをずっとずっと叫んでた。普通に常時奇声を発してたし。

 

 

夜中、その声をききながら、

一人で手を繋いで、

「どうしたの、辛いね、あいが横にいるよ、」って

なだめるしかできない時はほんとに辛かった。

 

 

 

昼間とか夕方、

大人が食事の準備してくれてる時とかも、

私はいつもばーばの横にいた。

私が泣くべきじゃないのわかってるけど、

涙が止まらなくて、押し殺して泣いてた。

 

 

 

辛そうで仕方なかったから。

なんでこんなに辛そうなのに死ねないんだろう。

ダメなのかな、これはみんなが望んでることなのかな。

ずっと辛かった。みんな辛そうだった。

 

 

じーじは特に受け入れられてなくて、

遠くでばーばを見ることしかできてないし、

なんなら今の状況もあんまり理解できてないし。

 

 

そんな中で一番ちょっと他人みが強い私が

元気に明るく振舞うしかなかった

 

 

 

頑張ってたよ、結構。笑

 

 

 

 

1日1日がほんとに長くて、正しい期間は覚えてないけど、

1週間ぐらいかな?その頃からばーばの意識ははっきりしてきた。

 

 

 

 

熱いお茶が飲みたい、とか、酸っぱい梅が食べたいとか、

アイスが食べたいとか。

ここが痛いからさすって欲しいとか、いろんな要望を言うようになった

 

 

 

 

 

 

 

正直、みんな、嬉しい反面、「看病、思ってたより長いな?」

って思いだしてたと思う・いいことなんだけどね!みんな疲れてたのよ

 

 

 

 

 

でも、コロナで、病院での面会ができなかったさみしさから、

ご飯の時にはみんながベッドの周りを囲んでられてる景色に変わった時、

「これがしたかったの・ありがとね、幸せだよ」

って泣きながら言ってくれた言葉を聞けて

みんなこれで正解かな?って抱えてた胸のつっかえが取れてたんじゃないかな

 

 

 

 

 

 

 

会話が調子がいいと、会話できるようになって。

目は見えないみたいやけど、声は聞こえるみたいで。

得にママの声とかばーばの弟の声とか。

美空ひばりが大好きだから、ベッドでもかけてあげてたら

足とか首でリズムとっちゃったりもしてたね

 

 

 

 

 

 

なんやかんや注文が多くなったり、

困った事も多くなったりしたけど

意識がある上での看病は楽しい事が増えてたかも

 

 

 

 

「ギュッと抱きしめて。もっと強く。」とかも言われて笑ったな

 

 

 

 

退院してからこれまで「お父さん」は

ばーばのお父さんのことで、娘に戻ってたっぽかってんけど、

このくらいから、指す「お父さん」は

ばーばの旦那さん、じーじのことだったな。

 

 

 

 

夜中にばーばが急に目覚めて、

ママに感謝を伝えたり、

じーじを呼んで!って言うて、じーじを起こして

「心配だよ、一緒に行こうよ、あんたは私がいなきゃダメなんだから」

ってめっちゃ伝えてた日があったな

 

 

 

 

じーじは耳が遠いし、忘れん坊だからもう何話したかも覚えてないやろうけど

運よくビデオに収められたから、いつでも見返せるよ。

 

 

 

奇跡のように、この時流れ出した音楽が

 

「リメンバーミー」

 

で、鳥肌たったよね。

 

 

 

 

 

あの日の夜中は、とっても涙が出たなあ。

苦しいとかじゃなくて、感動に近かった

 

 

 

 

 

 

訪問介護の人とかお医者さんも、

よく食べてるんだもんね、頑張ってるんだね、

今すぐって感じじゃなさそうだねって言うようになった。

 

 

 

 

 

 

確か、亡くなった日も訪問介護の人がきてた気がするな

 

 

 

 

亡くなった日の事はちゃんとそれはそれで記録したいので、

次の投稿にしよっと。

 

 

 

備忘録1、終了。。。