5.31

 

私はいつも彼を驚かせる

 

 

 

私たち、結婚前提で付き合ってる?

結婚前提で付き合ってほしいかも

 

 

 

 

なにげなく、帰宅途中の電車で聞いた。

 

 

 

 

 

週末に彼が来て、期待せずともがっかりもしない、 背伸びもしないしあぐらもかかない

適度な他人同士の距離感に居心地がよかった。

ずっと一緒に居れたらいいのになという感情から派生して飛躍した 突然の質問だった。

 

 

 

 

素っ頓狂な私の質問に、彼はいつも通り驚いていた

 

 

 

 

ただの思い付きで話したことが伝わったようだったけど、「 こういう大事なことは誤解を招いたらいけないから、」 とまじめに多くを語ってくれた。

 

 

 

 

そこから夜はお互いのライフプランを空書きした。

 

 

 

 

結婚という選択、子どもを産むという選択肢は取るのか、 そもそも子どもを授かることができるのか、何年で転職? そもそも転職するの?東京?どんな業界で?家の財産は?実家は?名前は?

将来の不確定要素を伝えあった。

 

 

 

 

 

もちろんお互いに不確定要素が多いことはわかっている。

でも、ライフプランに「結婚」「出産」を組み込むのなら、 そこを加味して考えないといけないことが多いことを伝えた。女の 30からはもう女としては機能しないからな!

 

 

 

 

確かに。と言ってくれた。

「それでいうと、結婚の意思はあります、視野に入れています」 と。

あと、「 君がもしも体質的に子どもができにくかったとしてもそれで別れようとかおもってないからね、 俺が子どもが欲しいと言ってたからって申し訳ないと思うのも違う よ」

 

 

 

 

彼は私の欲しい言葉をくれる

 

 

 

 

言葉だけでもいい、今だけでもそう思ってくれたらいい、 その言葉を選んだ彼が今横にいてくれていることを確認出来ただけ でうれしい

 

 

 

 

 

 

不確定要素が多すぎて

まだ整理できないし

具体的な計画を立てられない

 

ってずっと言われてた。

 

そう思うのもわかる。

でも、結婚を考えてるなら、

「○○万たまるまで」とか

「○年付き合ってもセックスレスじゃない」とか

明確に「待つ期限」も欲しいってのを伝えた

 

 

 

 

 

ただただ、女に時間はないから、と。

付き合うなら(=この女にとって1番価値があるこの若さをあなただけに捧げるなら)責任とってよ?と。w

 

 

 

 

空書きして、ある程度ズレを認識して、

問題提起できたのでそろそろ寝ようと思ったら

 

 

 

 

 

 

泣いてた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きっとプレッシャーと

腹くくった気持ちと

私を大切にしたいと強く思う気持ちと

いろんな感情で溢れたんだと思う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その真剣さが嬉しかったよ

(無視して寝てごめん)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝起きたらこんなLINEが。

 

 

 

 

 

 

 

 

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私多分駿くんと結婚する

ねえ、ちょっと聞いてよ

大声では言えないことなので、ここで記録しよう。誰か見つけてくれるかな。できれば早めに頼んだよ。

私は今くるしい。

 

 

 

 

 

 

 

今日は、大切にしてくれている人に私のここ2ヶ月の話をした。

 

 

だらしない私を見せて、

呆れと憤りと、どうしようもなさと、少しの理解と共感をくれたと思う

 

また苦しめた

 

 

 

 

 

 

私は、今置かれている状況をわかっているようでわかっていない

 

 

 

多分本当の頭が悪い人なんだと思う

アホとかバカでは言い表せられない頭の悪さ

 

 

それを向き合わさせてくれた機会だった

 

 

 

 

 

相手のだらしなさ、危機管理能力のなさ、責任転嫁の状況

まざまざと突きつけられた

 

 

 

 

 

 

 

 

苦しくて、やっぱりわかってて、でもわかりたくない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家に帰る途中で、まず、通知をオフにした

棲みつく量を減らす試みです。

 

 

 

それでも、返信が返ってきているかは気になるわけで。

 

 

 

バカなので、わけのわからないタイミングで、

話の途中で、既読つけて、非表示にした。

 

 

 

どんなタイミングでも切ればいいだけだから。そう教えてくれた。

 

 

 

追いラインなんてしてこないのわかってるので、

自分から切ること(=関係を断つこと)がとても辛い

 

 

 

超不機嫌。(バカ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰かわかってくれるかななんて誰かに縋るなんてお門違いです

 

 

でも、何かとつらさを一緒に抱えたくて、

いわゆる切なくてエモい音楽を聴いていました。

 

 

 

一人で悶えてバカらしいです。

 

 

 

 

 

 

私の中のあの人を燃焼させたくて、タバコを吸おうと思いました。

 

 

家で吸っちゃいけないルールなんてないし。

久しぶりにお酒飲んだし。

親も寝てるし。

部屋で吸えるし。

 

 

 

 

タバコの銘柄はあの人とお揃いです。私が真似しました。

一緒にお酒を飲んでいる時に、

同じ灰皿に同じ銘柄の吸い殻が残っていく光景を思い出しています。

 

 

 

 

豆電球がついた部屋で、

頭がうるさいので気持ち程度に音楽を流して、

ベランダにつながる窓を少しだけ開けて、

タバコを吸いました

 

 

iriちゃんの「会いたいわ」が流れてきました

そう、会いたいだけなんだよなーと思いながらタバコを吸いました。

きっと今なら呼べば来てくれるだろうなあと思っています。合ってる?

 

 

もう会いたいなんて気軽に言えないなあ、

そもそも言える資格なかったかあと思いました。

 

 

 

 

クーラーがいきなり動き出して、

ベランダにあった室外機が騒ぎ出しました

ざわつく。心が。タバコを吸っている罪悪感に。

 

 

それに罪悪感湧くならあれにも湧けよと思いました。

 

 

 

 

煙は正しく上に向かってくれて、部屋には入ってきませんでした。

いい子です。

いい風が吹いているからか、タバコは、

吸わずとも、きれいに燃焼してくれていました。

 

 

 

 

綺麗でした。ちゃんとエモがれました。

そんな心の余裕は正直ないですが。

 

 

 

 

 

吸い殻をティッシュに丸めて握り潰しました。熱くなかったです。

匂いを消すために、元彼からもらった香水をばら撒きました。元カレの匂いです

 

 

 

 

サンダルを履く時期は終わり、

色を塗る義務なんてないくせに赤い爪。

なんのためかって?

聞かないでよ、言わせないでください

 

 

 

 

 

 

目障りだったので、たっぷりの除光液で揉み消しました。

すぐ消えました。スルスルと色は消えました。

携帯は、サウシーが歌っている「二十九、三十」が流れています。

 

 

 

 

タバコの箱は、まだ何本か余っていますが、携帯するのをやめようと思います。

引き出しにしまいました。お揃いだと浮かれる気持ちも。ライターも。

 

 

 

 

アホすぎて、涙は出てきていません。

 

 

 

ただ、心臓はバクバクしていて、落ち着きません

これは別に楽しい響きではありません

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私バカだから、また連絡すると思います

 

もしかしたら明日の朝「おはよう」と送るかもしれないし、

来ることも少し期待しています。(これに至ってはないだろうけど)

でも、多分、免許が取れたら報告するでしょう

 

 

(正気に戻らないでね)

という言葉が離れません。裏切った気持ちになります

 

 

他の男で埋める気にもなりません

 

 

切ってもすっきりしていません

 

 

好きでいる気持ちは捨てなくていいらしいのですが

”憧れ”と”男として”が混在した今、捨てるしかありません

 

でも捨てたくない気持ちもあります。

 

 

切るしかないのだと思います

 

 

友人に話すとすぐ揺らぐ自分の軸()のなさにも、

ひとりになるとまた揺らぐ自分の弱さも、呆れます、可愛いです。

 

 

 

 

 

 

もうなにもわかりません

 

頭が悪いので

 

 

 

 

 

 

 

 

早く神からの迎えがきて欲しいです。

 

 

1番の理解者は、元カレ

初めて付き合った彼。

幼かったし、何もわからなかったけど、
楽しくて、肩書きなしで、本当に好きだった彼。

一年半ほどで別れ、それからはたまに連絡をとるだけになった。


私たちの関係は、付き合っていない期間の方が長く、ずっと良き理解者として繋がり続けた。

 


体の繋がりなんかなくとも、
ただ支えになってくれる人がいる。

 

私の中で大きな存在だ。

私に彼氏ができたら、彼氏の不満の吐口にしたり、相談事や頼りになることは全て彼に頼っていた。

 

しかし、彼に彼女ができてからはそれができなくなった。

 


そりゃそうだ。
人に対して誠実な彼だから、彼女が悲しむようなことはしない。
だから安易に一応彼女だった私なんかが連絡してはいけない。

 

だから、snsは全てブロックされた。
本当に困ったらここにメールして。とだけ送られて。

 

お互いに幸せになるために、
このメールは送らない方がいいのかな。

 

些細な困ったことも彼に話していたから、
本当に困ったこととか、わかんないよ、
あわよくば全部知っていてほしいよ。

 

いつ戸惑いなく話せるのかな、連絡とっていいのかな。


一生話せないのかな、
付き合わない方が良かったのかな。

 


幸せになりたいね。
貴方からの連絡はもう待ってはいけない?

 

私の最後の砦。どこにも行かないって約束したのにね。

あの日から1年。備忘録2

 

この日も普通に朝まで看病して、

ここ最近ちょっと呼吸がしづらそうで

肩で息してたんよね

 

 

 

 

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(奇跡的に前日の夜に写真撮ってたわ)

 

 

 

 

夜中はすんごい静かに寝るようになって

またそれもちょっと怖くなってたりね。

 

 

 

 

朝まで看病して、私は二階のベッドで寝て。

昼前に起きて、訪問介護の人たちと話して。

 

 

 

 

 

 

まだ今すぐにってことはないと思いますよー。

 

 

 

 

 

って感じだったな。

ばーばはお話しできてたっけな?首振るぐらいだったけな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まだ時間が許されそうってことで、

 

じーじは月末恒例の散髪に。そのついでに

ママは夜中のお菓子の買い出しに。

 

 

(濃厚チョコブラウニーは深夜の心細さを溶かす甘さでお世話になったんよなー。

今日ママが、一周忌だからって買ってきてた笑 それぐらい思い出深い味。)

 

 

 

 

 

 

昼前にいつものように、ばーばの弟がきた。

おばはご飯を作ってたな

 

 

 

 

「あらーおじさんこんにちは」

「やあやあどうだい」

 

 

 

 

 

いつも親戚と会う時、こっぱずかしくて、慣れない顔してたけど

もう1ヶ月も毎日会ってると、普通に話せるようになってたな

 

 

 

 

「なんかいまね、ばーばの弟さんの話してたんだよ」

「そうかい、姉さん元気だな」

 

 

 

 

 

珍しくばーばも目を開けて、

なんか話したげに弟さんと心通わせてた覚えが。

 

 

 

 

 

 

 

おばがご飯の支度の合間に

おじさんに挨拶して、ちょっと話してたら

 

ばーばの様子がちょっとおかしく。。

 

 

 

 

 

 

 

 

呼吸がゆるーく、遅ーくなってた。

 

 

 

 

 

めっちゃトントンして、声かけると

 

 

っっっスーーハーーーーーーー

 

って急に息してくれる感じ。

 

 

 

 

 

 

 

めっちゃ怖くなってきた。

 

 

 

 

 

 

 

「お母さん!!姉さん!!ばーば!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

すんごい気迫だった。

 

 

もうこの時点で胸が張り裂けそうだった

 

 

 

 

 

「あいちゃん!!キッチンの火止めてきて!!!!」

 

 

 

 

急いで消した

 

 

そのままリビングでママに急いで電話をかけた

 

 

 

 

 

 

全然出ない

 

 

まだ帰ってこない

 

 

 

 

 

どうしよう。電話に出ない。

じーじも。

 

 

 

 

 

 

隣の部屋からは

大きい声で名前を飛ぶ声と

「息して!!吸って!!」

の声が聞こえる。あせる

 

 

 

 

そしたら車が見えた。

 

 

急いで駐車場に行った。

 

 

 

 

 

私が血相変えて車のドアを開けたら、

 

「おっあいちゃん、お菓子買ってきたよーー」

 

 

 

 

 

 

 

いやそんな余裕ない。

 

 

多分ちゃんと話せてなかったと思う・

 

 

 

 

 

「ばーばが!早く!!電話出てよ!!!!」

 

 

 

 

 

様子に気付いてダッシュで家に戻る。

「ごめんごめん運転しててさ」

みたいな言い訳が横から聞こえてた

 

 

 

 

 

 

じーじは床屋で綺麗にされたまんま、

何もまだ知らない。

 

 

 

 

 

 

おじさんが迎えに行ってくれた。

 

 

 

 

 

車の免許を持っていないことを結構後悔した。

(まだ持ってない、早よとらな)

 

 

 

 

 

 

髭剃りかなんかされた時だったらしく、

白いままでいい!急いで来い!みたいな感じだったらしい

 

 

 

 

 

 

 

 

じーじが来た時には

お医者さん・訪問看護師さんが

駆けつけてくれてて、

もう息を引き取っていると言ってた。

 

 

 

 

 

 

 

おうちで看取ってたから、

心音ピーーみたいなのなかったし、

なんか、亡くなる時間までの

猶予 をいただいた感じがして良かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

じーじも、手をとって

まだあたたかいよ?大丈夫だよな?

って泣きながら、納得するまで声をかけてた

 

 

 

 

 

 

 

(あー、涙が出てきた、思い出すなあ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

じーじは放心状態で、もう崩れてしまってた

 

 

私だって泣いたし、そらそうや。

なんなら今でも信じられてない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

看護師さんたちがせっせと用意をしてくれてて、

ヘルパーさんに少しだけ話を聞いてもらった

 

 

 

 

 

 

 

 

ママたちは、忙しそうに葬儀屋さんと話してて、

悲しむ間もなさそうやった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、まだ近い身内が死んだことがなくて、

まだ信じられなくて、、つらい、わからない

 

 

そんな話をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヘルパーさんは、

「1ヶ月付きっきりでみてたからこそね、辛いね、あいさんもよく頑張ってくれてありがとうね、キミエさんも喜んでますよ、きっとね。徐々に受け入れられると思います。ゆっくりでいいよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな感じのことを腕をさすりながら言われた気がする。

覚えてない。でも声は鮮明に覚えてる。

優しい声でいつも頷いてくれてた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも私が一番泣いたのは、この時じゃないねん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ばーばが綺麗になって、

お化粧しましょうってなった時に、

 

 

 

 

お孫さんにしてもらいましょうって

化粧をした時なんよな

 

 

 

 

 

 

 

 

ファンデーションの色とか、

もう肌と全然合ってなくて、

困ったし、見られながらするから動揺してた

 

 

 

 

 

 

最後に、口紅する時に、。

なんかわからんもんが込み上げてくる

ってこんな感じなんやな、

 

 

 

 

 

 

 

 

まじで泣いた、溢れた、

声が出てしまった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実感したんかな

わからん

ピリオドうった感じ?

めっちゃなんかが込み上げてきてた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

看護師さんたちは「わ〜綺麗ね〜」って

ニコニコしてはるし、泣くのは

間違えてんのかなとか思いながら

泣きながら笑ってた

 

 

 

 

 

 

 

いやー、、。

息が止まりそうでみんなで声かけて焦った時と、

口紅を塗った時・

 

 

 

 

 

 

 

 

俯瞰で見てしまってたけど、

あードラマでありそうやなあ、ってなってた

いちばん印象的。

 

 

 

 

 

 

自分の横顔思い出せるもん

 

 

 

こういう俯瞰って、現実逃避なんかな

 

 

 

 

ふと、闘病中は

早く楽にしてあげたいとかいう割に

いざその瀬戸際になると

生きて欲しいと叫んでしまうなあと

思ったよね。そらそうか。悲しいもんな。

 

 

 

 

 

 

 

 

その夜、お線香を切らさないために、昨日と変わらず夜通し見張った

 

 

 

 

 

ばーばはめっちゃ可愛く眠ってた、

マジで可愛かった

可愛すぎて写真撮ってんけど、

ちゃんと成仏できひんかったらあかんってことで消した

 

 

 

 

 

 

 

じーじはまだパニックやったなあ

 

 

 

 

 

 

 

その夜いとこの毒素も抜けたらしいし

それはばーばのおかげなんやろうなあ、多分

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いまだに、ばーばの遺影を見ても

実感がない

 

 

 

 

 

 

多分この実感がないままになる気がするけど、

ご先祖様?として見守っていて欲しいな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一周忌って、あっちの世界ではお祝いらしい。

 

 

 

いろいろあるねんてさ、よくわからんけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きっと普通に生きててもこんな体験できひんなって経験をした。

 

たったの1ヶ月(なんなら3週間)が

3ヶ月・半年ぐらいに長く感じてた。

 

 

 

 

 

コロナじゃないとできひんかった経験やし、

ある意味タイミング良かった。

 

 

 

 

 

 

こんだけちゃんと病気に、死に、ばーばに、向き合うことができて良かった

 

 

 

 

 

 

 

 

ばーばは元気でやってるかな、

何してるんやろう?

 

 

 

あの日から一年。備忘録1

去年の明日、おばあちゃんは亡くなった。

 

なかなか文字にできなかったけど、

書かないとそろそろこの記憶を

鮮明に覚えていられなくなりそうなので、

ちゃんと向き合うことにした。

 

今回は、初めて、パソコンからの入力。

何が変わるかな?

 

 

 

 

ばーばはおうちで最期を迎えるために、5月の11日に退院してきた。

私たちは最高の最期を看取るために毎日心の準備をしてきた。

 

 

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家にきた最初は、意識が朦朧としていて、

顔も私の知ってるばーばじゃなかったし、

闘病中のばーばでもなかった。

 

 

 

 

私は、少しうろたえながらも

ここで暮らす人全員に優しく元気でいることを努めた。

 

 

 

 

 

慣れてない家でアレルギーが発動したし、寝るサイクルも狂わせた。

その中でフルで取ってた学校の授業も、かかさずに受けた。

 

 

 

 

23時〜5時がいとこのお母さん

5時〜9時 私

0時〜2時、14時〜17時 母

 

 

の睡眠サイクルで、2人は看ていられるようにした。

1-2時間に1度、寝返りを打たせないといけなかったしね。

水でむくみ切ったばーばはめちゃ重いんだ。1ヶ月で手にタコができたよ

 

 

 

 

 

 

はじめの3日ぐらい

ばーばは、起きてるとずっとうなってて、

嫌な夢(?)を見ているようで、

「嫌だー、痛いよー、辛いよー、

こないでー、おとうさーん、助けてー」

それをずっとずっと叫んでた。普通に常時奇声を発してたし。

 

 

夜中、その声をききながら、

一人で手を繋いで、

「どうしたの、辛いね、あいが横にいるよ、」って

なだめるしかできない時はほんとに辛かった。

 

 

 

昼間とか夕方、

大人が食事の準備してくれてる時とかも、

私はいつもばーばの横にいた。

私が泣くべきじゃないのわかってるけど、

涙が止まらなくて、押し殺して泣いてた。

 

 

 

辛そうで仕方なかったから。

なんでこんなに辛そうなのに死ねないんだろう。

ダメなのかな、これはみんなが望んでることなのかな。

ずっと辛かった。みんな辛そうだった。

 

 

じーじは特に受け入れられてなくて、

遠くでばーばを見ることしかできてないし、

なんなら今の状況もあんまり理解できてないし。

 

 

そんな中で一番ちょっと他人みが強い私が

元気に明るく振舞うしかなかった

 

 

 

頑張ってたよ、結構。笑

 

 

 

 

1日1日がほんとに長くて、正しい期間は覚えてないけど、

1週間ぐらいかな?その頃からばーばの意識ははっきりしてきた。

 

 

 

 

熱いお茶が飲みたい、とか、酸っぱい梅が食べたいとか、

アイスが食べたいとか。

ここが痛いからさすって欲しいとか、いろんな要望を言うようになった

 

 

 

 

 

 

 

正直、みんな、嬉しい反面、「看病、思ってたより長いな?」

って思いだしてたと思う・いいことなんだけどね!みんな疲れてたのよ

 

 

 

 

 

でも、コロナで、病院での面会ができなかったさみしさから、

ご飯の時にはみんながベッドの周りを囲んでられてる景色に変わった時、

「これがしたかったの・ありがとね、幸せだよ」

って泣きながら言ってくれた言葉を聞けて

みんなこれで正解かな?って抱えてた胸のつっかえが取れてたんじゃないかな

 

 

 

 

 

 

 

会話が調子がいいと、会話できるようになって。

目は見えないみたいやけど、声は聞こえるみたいで。

得にママの声とかばーばの弟の声とか。

美空ひばりが大好きだから、ベッドでもかけてあげてたら

足とか首でリズムとっちゃったりもしてたね

 

 

 

 

 

 

なんやかんや注文が多くなったり、

困った事も多くなったりしたけど

意識がある上での看病は楽しい事が増えてたかも

 

 

 

 

「ギュッと抱きしめて。もっと強く。」とかも言われて笑ったな

 

 

 

 

退院してからこれまで「お父さん」は

ばーばのお父さんのことで、娘に戻ってたっぽかってんけど、

このくらいから、指す「お父さん」は

ばーばの旦那さん、じーじのことだったな。

 

 

 

 

夜中にばーばが急に目覚めて、

ママに感謝を伝えたり、

じーじを呼んで!って言うて、じーじを起こして

「心配だよ、一緒に行こうよ、あんたは私がいなきゃダメなんだから」

ってめっちゃ伝えてた日があったな

 

 

 

 

じーじは耳が遠いし、忘れん坊だからもう何話したかも覚えてないやろうけど

運よくビデオに収められたから、いつでも見返せるよ。

 

 

 

奇跡のように、この時流れ出した音楽が

 

「リメンバーミー」

 

で、鳥肌たったよね。

 

 

 

 

 

あの日の夜中は、とっても涙が出たなあ。

苦しいとかじゃなくて、感動に近かった

 

 

 

 

 

 

訪問介護の人とかお医者さんも、

よく食べてるんだもんね、頑張ってるんだね、

今すぐって感じじゃなさそうだねって言うようになった。

 

 

 

 

 

 

確か、亡くなった日も訪問介護の人がきてた気がするな

 

 

 

 

亡くなった日の事はちゃんとそれはそれで記録したいので、

次の投稿にしよっと。

 

 

 

備忘録1、終了。。。

4.28

 

 

今日はとってもいい日を過ごしたので備忘録。

 

 

 

朝は、眠りが浅くて、寒気もするから機嫌が悪かった

 

 

 

面接があるから3時間前に起きようと思って起きたのは10:30。

 

何があっても11:30には全部終わって面接に備えられらるようにするつもりだった

 

 

 

 

ご飯食べてYouTube見て化粧する

 

 

 

 

 

YouTubeで、「作り笑いでも笑いなさい、そしたら脳は幸せだと勘違いするから」って中田敦彦に言われて、鏡に全面に笑いかけてからいい日に変わった気がする。

 

 

 

 

11:30ぴったりに歯を磨き終わって、

 

 

 

面接に備える。13時からやから12:30にはいつでも入れるようにしていたいから、それまでちょっと覚えたりカメラとかの準備。

 

 

 

13時前に母親が帰ってくる音がした

 

 

でもちょっとそれどころじゃなかったので、とりあえず面接を終わらせた。

 

 

手ごたえはまあまあ。ハキハキと喋るのが苦手な男の子2人とCAみたいな格好のしっとりした女の子。ハキハキ愛嬌のあるのは私だけだった。

 

 

ある程度の手ごたえを終わらせ、ママに会いに行く。

 

 

 

ママとテレビを見ながらぺちゃくちゃ喋る。13時。母の日にあげる予定だったジェルネイルも一緒にわーきゃーやりながらテレビを見る。爪が可愛いとテンションが上がる。

最近のドラマ2本と、アメトーク。16時。

 

 

 

 

 

 

 

そしたらゴミの掃除当番だったことを忘れてたので、一緒にゴミ捨て場を洗いに行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

予想以上に天気が良かった。天気が良すぎるので、外に行きたすぎた。公園とか行きたい。ちいさいときみたいにブランコ乗りたい。なんで大人は行けないんだ。えーー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あ、タコの遊具が取り壊された通称タコ公園があったな、買い物ついでにお散歩にそこへ行こうと誘った

 

 

 

 

 

 

 

 

買い物は卵とトマトとお菓子。メモ。

 

 

 

 

 

 

 

家を出る前に、立命応援団がテレビで取り上げられてたのでそれを一緒に見る。

 

 

 

 

 

吹奏楽の話はまだ息を呑むし少し涙を我慢する。

 

 

 

 

 

 

 

 

相方と一番仲良くしてた子はまだ頑張ってるみたいだ。すごい。尊敬。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さー寒くなる前に出発。17:45。

 

 

 

 

 

公園に着くとめっちゃ人がいた。

中学生らしき子達が部活の代わりに、テニスやサッカーを勤しんでいた。

私たちは端のブランコや鉄棒で遊んだ。

鉄棒は相変わらず逆上がりができないし、久しぶりに乗ったブランコは脳みそが揺れた。幼い頃、1日中ブランコに乗っていた日の寝る時には、目を瞑ると脳がブランコに乗っているかのような揺れ方をしていたことを思い出す。

 

 

 

 

体幹も体重を支える筋肉も三半規管もクソだった

 

 

 

 

 

 

でも小さい時みたいで楽しい

 

 

 

 

 

 

 

方向音痴なりに道の繋がりを教えてもらったり、この公園は前方後円墳だったことを知ったり、色々はなす。

 

 

 

 

余分な買い物もして、アメトークに釣られて出演していた駄菓子を買って、少し帰りの荷物を重くして帰る。

 

 

 

 

 

スーパー(正確に言うと薬局)を出る頃は予測していた通り、もう暗い

 

 

 

 

 

 

帰ると19時。

 

 

 

 

 

 

健康ぶってるので(テレビ見ながらピザ食ってた)、夜ご飯は豆腐と納豆グズグズに混ぜて、ごま油と醤油と焼き肉のタレを混ぜたタレをかけて味海苔をチラしたダイエット食。

 

 

 

 

発酵物がダメで腹を壊してるので控えてたから久しぶりに食べた。

 

 

 

 

 

 

いつも、私たちはここで一旦ご飯を食べて一休憩すると寝てしまう。体力がなさすぎる。

 

 

 

 

 

でも部屋を掃除したがってたので、眠さに打ち勝ち、掃除を始めた。、

 

 

 

 

 

 

 

部屋をきれいにした。ゴミ袋約2袋分捨てた。私たち的には綺麗になったけど、見た目はたいして変わらない。私の家系は捨てられない族だから困る。

 

 

 

 

 

かわいいストラップや小さい何にもならないぬいぐるみみたいなのやガラクタをいちいち捨てる時も胸が痛がってる。

 

 

 

 

 

 

まだ机が小学4年生ぐらいで止まってる。

 

 

 

 

 

 

 

意外と頑張って、綺麗にして、掃除機かけた。

床がピカピカ言ってる。これガチ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほこりで鼻がぐずぐずしまくった。ぴえ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

体を綺麗にして、しっかりあったまって、又吉を読んで笑って、しっかり保湿とドライヤーをした良い入浴時間。

 

 

 

 

 

 

お風呂上がりは楽しみにしていたYouTubeを見ながら体を柔軟。

 

 

 

 

 

今2:15。

 

 

 

 

 

思ってるより眠くない。

 

 

質問会の質問の準備とか、録画面接の準備とかしないといけないからしようかなとか考えたりもしてる。

 

 

 

 

でも充実しすぎて、もう1日終わってもいいなって思ってもいる。

 

 

 

 

 

 

ママと一緒に2人で遊んでる時間が楽しくて仕方ない。多分、ママと2人で過ごす時間が、増えれば増えるほど、他に誰もいらない、替えが効かないと思ってしまう。私の理想。

 

 

 

 

逆上がりができなくなってて悲しんでるママとか、小走りのコツを教えたまんまアラレちゃんみたいに横断歩道渡るママとか、私を一番に考えてることとか、考え方が似てるとか、私がくっついて寝転んでる時にママが寝かけだすと無意識に私の体をトントンしてくれるところとか、

 

 

 

 

 

 

満たされていく感覚がすごい

 

 

 

 

 

恋ですか?アダルトチルドレンですか?

私はまだずっとこうしてたい

 

 

 

 

一緒に温泉に行くし、料理作るし、テレビ見るし、本の感想言い合うし、しんどそうなことは汲み取り合うし、なんか似てるし。親だからそらそうか。

 

 

 

共依存すぎてすごい幸せ

 

 

 

 

 

まじで今日は朝から早起きして就活もしてる気分だから罪悪感ないし、満たされた一日だったな

 

 

 

大人になったらやっぱり足りないものを感じてるし、それは他では補うことができないなと痛感してしまった。

 

 

 

 

 

大好きなんだよなあママからの愛が

 

 

4.6

 

 

 

久しぶりにげんてんのひととあった

 

 

 

珍しく疎外感があった

 

 

 

 

彼らはいつも活動してて、変化を求めてて、成長し続けてるのを知ってるので、そんな彼らに会う前に私は何をしてるのかを少し考えてた

 

 

 

現状の私

・就活が辛い

からはじまり、

・やる気が起きてない、奮い立たせもできない

・人と会うことも億劫

・眠い、20時間ぐらい寝たりもする

・余裕がない

・持ち前のはずの優しさで人を受け入れられないので人と関われない

 

 

じゃあ会う前にどんな下半期を過ごしたかを見よう

 

・ゼミ

遊び・勉強、バイト

→人に好かれることに必死だった

楽しいことに夢中だった

 

 

少なからず充実してたし楽しかった

 

 

 

 

 

 

まあ結論から言うと別に成長してないし何も得てない

 

 

 

まあこの時点で会う際の自己肯定感は下がった

 

 

 

 

 

 

そしていざ会う

 

 

 

 

 

 

 

人を選ぶ、見る側に回ってる人間たちなので、就活でも何を見てるか、何がわかるか、どんなふうにいけばいいのか、すごくためになる話をたくさんしてたと思う

 

 

 

 

 

どんな思考が必要か、どんな人が有用かを言うてた気がする

 

 

 

 

 

もう入ってこなかったし、つらかった

 

 

 

 

 

 

 

 

もちろんどがつくほどのベンチャーでゴリゴリやってる人間の意見に他なくて、

 

ああこういう意見もあるんだなあと軽く聞かないといかないんだとおもうんだけどつらかったな

 

 

 

だって実際に大手のes添削してあげて、私が通らなかったところ通ってるらしいしね

 

 

 

 

人に頼るの苦手だな、やったぁ見てもらお〜とも思えないもん、出せない、私の書いたesなんて。

 

 

 

 

 

 

 

私がよく言う「使えるもんは使え」は自戒なのです、知ってた?

 

 

 

 

 

 

 

あと彼らは社会に出て実績を出してるわけで、ああまだまだ私はペーペーだなあと思ってた

何も知らない

 

 

 

 

2人との違いをずっと見させられてた感じ、しかも明らかにどの視点から見ても私が劣等してる違い

 

 

実績はないし

努力を楽しいと思わないし

挑戦はしないし

人を巻き込めないし

説得力はないし

人の50倍頑張るなんてできないし

効率は良くない

多分キャパも多くない

 

 

 

 

 

 

 

んー?余裕がないだけ?経験積んでないだけなんだろうけど、無理なんやが()

 

 

 

 

 

 

 

きっと2人は挑戦して、変わっていく環境に刺激を感じて生きていくから

きっと私はいずれ話の通じない人になるんだろうな、と思ってしまう

 

 

 

 

 

 

「いやーこの子色々やっててすごいのよ!」

 

 

 

 

で自慢の友人✨では終われなかった

 

 

 

 

 

 

私は多分彼より傾聴力も人に興味を持つ力も受け入れる幅もあるけど

 

個性や自我がないと思ってしまう

 

いや、個性や自我を優先できないと思ってしまったな

 

 

 

私が理想としてることを全うしてる人だった

 

 

 

ひたすら圧倒された

 

 

 

こういう人が今(ベンチャーで)活躍してるとして、私はなれないと思った、いや、なりたくてでもなれてなくて同じような土俵で話せてないことが悔しかった

 

 

なにより同じ土俵で話すのが怖くなった

 

 

 

 

 

 

 

私は今日寝てないし、最近はずっと夢を見ているので深く安心して良い睡眠を取れてない

 

 

 

 

 

2月から3月の半ばまでフルマックスで頑張りつづけた反動だと優しく言えばそう。

 

 

 

甘えると躁鬱。双極性障害PMS。(診断書もらってないから甘え、ね)

 

 

 

 

絶対にそうwじゃないと20時間寝れんくない?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

普通に頑張りたいけど頑張れないという自分が自分じゃない状況には動揺してるし、そこにけつ叩いて頑張る気力もないので、携帯も触らずに目を閉じてるだけの3日ぐらいを過ごしてた

 

 

 

 

 

 

もしかしたら

闇雲に大量に大企業にes出してたのも間違いなのかも知れん

 

わたしが大企業に行こうとしてることが間違いなのかもしれん

 

やりたいことから逃げて就職することに専念してるのが間違いなのかもしれん

 

 

わからん、

 

就活に正解はないやろうけど、間違いはあるやろ、だから落とすやろ、となると私は間違いを踏み続けてる気がしてならない

 

 

 

 

知らんけど

 

 

 

 

 

 

 

大阪の親友だって言ってくれることも烏滸がましく感じてしまった

 

いやまじで自信がない

 

なににそんなに最高だよって言ってくれるのかもわかんなかった

 

 

 

私はもう2年前のシンガポール前後の熱量はないしそこまで思考力は伸びてないし他に転用したわけでも活かしたわけでもない

 

 

 

しかも彼らも変わった

 

 

 

 

 

私の話をたくさん質問してくれたわけでもないので、いてよかったのかなとか面白くないかなとか思ってしまった、珍しく

 

 

 

 

 

 

 

しかもこだわりも強いし自分の軸以外には排他的でもあるから、仲間意識がない人への冷たい態度を見ておびえた、いずれくるその対応私に、感。

 

 

 

あいつら結局環境に迎合しちまうからな〜という辛辣なそれ

 

 

 

 

 

 

しかたないね、関わり続けていたいなら私が変わり続けてキラキラして変化し続けるしかないし、

 

 

きっとそんなメラメラした人たちは本当はあってないんだろうから、いつか疎遠になってたまに話すぐらいになるしかないし、また話せる距離感なだけで良いのかもしれないね

 

 

 

 

 

私も新しい年毎に居心地の良い組織を作り続けないといけないな、わりとそう言うタイプなんだけど古巣も大事タイプなんだよな、難しいな自分。

 

 

 

 

 

 

 

 

最高だぜって一緒に仕事しようぜって言われるけど何をそんな評価して言ってくれてんのかわからん時点で関わるの怖すぎるな。やっぱり人間として関わる上で「とみいの○○が」みたいな確固たる自信を持って人に関わらん限り私は怯えたハムスターでした。「気が利くところ」「女であるところ」という名前がない限り満を辞して動けねえ

 

 

 

 

 

とみいはとみいでいいんだよって当たり前のように思ってるから言わないんだろうけど、2人とも久しぶりに会いすぎて人間の関わりが怖すぎた

 

 

 

 

 

まじで難しい。

 

 

 

悩むんじゃなくて進まなきゃ

 

 

 


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